Buddhist sermon again
また法要だよ。
今回は祖父の一周忌法要だ。
うちの家族は十月が鬼門なのか? 神の無い月だからな! と語源俗解に原因を求めそうになるが、まぁ単純に季節の変わり目だから人体に負担がかかるのだろう。
二週連続で喪服を着ているが、地方に車で移動などが無いためまだこちらの方が負担が少ない。車で十数分程度だものな。六時間から八時間車に揺られるより大分マシだ。
■スランプ
気のせいと思いたかったが、スランプ。
スレイがまったくはかどらない。
正確に書けば、スレイのブラッシュアップが全くもって捗らない。
ラフい絵を量産するのは普通に出来る。特に引っかかる事が無い。つまり駄作を生む勇気は維持できている。
問題はそのクオリティを上げようとした場合、詰まる事が多い。
まったく上がらない質に心が引っかかっているのか、質を上げた先の理想像に腕がまったく追いつかず、そのギャップに俺が一人でイライラしているのか……兎に角引っかかる。
参った。実に参った。
今までは時間軸に沿ってスレイしていたが、いよいよ「ブラッシュアップは選定までで、先に大部分のスレイだけを終わらせる」という最終手段を取るしか無いかもしれないな。
■漫勉
ようやく録画していた今シーズンのラスト「浦沢直樹」回を見た。
いやぁ、すごいな。心にズシッとくるもののオンパレードだ。
特にあるあるwwwwあるある……となったのが、ペン入れの時に言っていた「清書と思っちゃった瞬間にもうダメ」という言葉。これはね、先述したスランプにもつながる話だけど、絵を描いている人、あるいは何かを作ってる人には共通してる感覚だと思うよ。
要するに「気負うな」という事だ。
過剰な「気負い」は流れを殺し、絵から音や温度を奪う。
絵に存在する気配を殺す。優れた絵にはアナログにしろデジタルにしろ、必ずそういうものがあるはずだが、気負いはそれらを根こそぎ奪う。最初に描いた時には確かに存在していたそれを、次々と死に至らしめる。今やってるブラッシュアップだって、後から見て自分で中々いいねと思えるものは大体気負いが無い。自然に、導かれるように描いてる。
逆に、気負って「おっしゃ良い絵にするぜ」と強く思ってやると、大体失敗する。
ゴールあるいは着地点を見失い、ウロウロと時間と体力を使って、やがてゴールを見失い倒れこむように、あるいは着地点が見出せぬまま不時着するかのように完成する。
いやぁ、毎回毎回漫勉は素晴らしい示唆に富んでいるな。
本当に、次回のシーズン(来年の三月からだそうだ)が楽しみだ。