原初の衝動
そこに還れるうちは、まだ大丈夫だ。
溜め込んだラクガキめんどくさいよー、と嘆きながら描いていると、どんどんモチベも絵の質も落下していく。
流石にこれはマズいだろ、と初心に返って紙にガリガリラクガキするのを溜め込み解消の合間に挟み込んだらあら不思議、全く苦痛ではなくなりましたとさ。
寺田克也のラクガキングという画集(誤解を恐れずに言うならラクガキ集)のあとがきに書いてあった、ラクガキとは原初の衝動であるって言葉。今なら大きく頷ける。
そして原初の衝動には、より原始的なフィードバックが必要なんだなと実感する。
タブレットに向ってガリガリ描くのも、まぁ楽しいよ。だが、そればっかりは飽きる。デジタルに飽きた時に感じる、ペンと紙に生じる感触の素晴らしさよ。
そりゃニヤニヤするよ。
逆にずっとアナログだと、それはそれで飽きる。
アナログもデジタルも、画材は画材。道具だ。
どちらかに固執する事をせず、使って行くのが一番良いな。
■消えていた…………!
七月は消えていた………………!
ソウが振り返った時
七月の姿は既になく…………
結局ソウは終われない
七月にこなす…………
諸々の作業を……!
(AA略)
■見えてる地雷
ええ、寄生獣の事ですよ。
アニメ版も実写映画版も、俺の中でコレデヨイ…見えている地雷になった。
実写映画版はまぁ、基本的に邦画で漫画原作=作品の名を使ってアピールしたい別の映画と看做してるだけなので、そこまで地雷だと見てない。見えてる地雷とすら認識してない位、邦画自体に興味が無いだけじゃないの? と言われると、その通りなんだけどな。
問題は、アニメの方だ。
これでも結構期待してた。今年は普段アニメを見ない俺でも見るものが出るんだなぁ位には思っていた。期待していたジョジョと野崎くんがその期待を遥かに越える良作なために無意識に寄生獣のアニメにも期待が高まってた。その状態で、ミギーが平野綾と聞いて愕然としたが、それ以上に落胆したのはキャラデザと謎の「セイの格率」という副題。
まぁカタカナのセイは生だとか性だとか星だとかにかかってるからカタカナにしてんだろうし、格率もカント哲学と公理のダブルミーニングであろうとは思うが……。まぁ落胆した。
唯一希望が残っているしたら、最初のハガレンアニメのように「根っこは同じでも、本気で二次創作」をやってくれるかもしれない……という部分。
一番ヤバいのは原作再現と改変が調和せずチグハグで終わるみたいな奴な。
でもなぁ、ハガレンは連載中でオチの目処も立ってなかったから二次創作に振り切ったけど、寄生獣は完結してるんだよなぁ。完結しているものに対して一から再解釈するのはかなり難しいと思うから、中途半端な改変と中途半端な原作再現を綯い交ぜにした駄作になる予感もする。
大人しくジョジョと野崎くんを楽しみながら来年のニンジャスレイヤーを待つ方が賢明か。