自分だけの答え
日頃から「バガボンドは絵描きに通ずる。というか絵の実感が剣の実感になってる所あるよね」という説を支持しているので、あの漫画は基本的に絵描きの精神論を頭に刻み込む為のものだと思ってます。今日のタイトルの「自分だけの答え」もその一つ。
要は「身体性あるいは感覚に根付いた技術を言語化するというのは難しい」って話です。
Photoshopの機能を説明するのは出来ます。
フィルターやタイル使った効果なども説明されれば分かるし、技術の伝播はまぁ結構簡単。
簡単な雫の作り方とか、そういう講座も見ればまぁ大体分かります。
でも、そこから一歩先に進んで「絵作り」の段階に入ると、途端に言語化は難しくなる。
結局の所、俺の結論としては、「自分用のカスタマイズをして、初めて技術は技になる」というよく有るもの。つまりはそれこそが「自分だけの答え」って奴になる訳です。
イメージ的な話で申し訳ないですが、自分の外側にある「技術」を自分の内側に持ってきて「技」にする時に「自分だけの答え」が必要になるんじゃねーの? 的な。
画風や絵作りというのは、その「自分だけの答え」を積み重ねて構築してくものに他ならない。ならば、絵の上達に必要なものは自ずと分かってくる訳ですよ。
あ、その答えは明言する必要は無いですか? ですよねー。
このサイトで頻出してますし、世の中でも語り尽くされてますもんねー。
>>今日のラクガキメモ
ラクガキ自体は、特にメモる事がない。つまり何も考えてない。
何か「All-out effort」のお株を奪ってる感のあるが、水着暑中絵(笑)の方にまだまだ色々手を入れてる。既に一応の決着を見てアップしてあるのに、だ。
しかしながら例えば、自分の感覚に聞いてみた結果、汗の描写を再考してる。
海水浴ってどんなに暑くても、照りつける太陽と海風で汗は流れる事無く蒸発する……ような覚えがある。海水浴で濡れる描写は海に入ってるときか、海から上がった時に発生させた方がいいんじゃねーの的な。汗をかいてるんだけど、それを知覚出来ない。あるいは知覚しにくい。
知覚出来ない、しにくいものを安易に描き込むとそれは容易に違和感へと生じる訳だ。
とは言え、正直蛇足じゃないの? という恐れもある。
が、A.R.S.enalにアップするバージョン違い用というのもあるし、上げた後に目に付く粗を潰す、という意味でもまぁ無駄という訳でもないだろう。他にもちょいちょい加工したい部分あるし、もう少し手を入れて明日辺りにA.R.S.enalに上げたい所だ。
まぁ正直、やめ時を見極める能力に欠けているというのは自覚が有る。
ものの、どうすればその能力が身に付くのかが分からない。
学生時代から手を入れ過ぎて何か駄目になった絵を量産して来てるし、どうにかしてーなぁ。
今思いつくのはいくつもの絵を同時並行にして、入れ込みすぎない状況を自分で作るとかしかなし。しかしそれはあんまり褒められた方法論ではないなぁ。
一歩間違えると全部散漫になりそうだし。
もうちょい考えねーと駄目か。
※今日のカメラフィルタ:陽光+白黒。