楂古聿即売会
と言うわけで、バレンタインデー。
個人的には縁も無いし、気の向いた時だけ言及すると言うアレな扱いをしている。
因みに今年の親族チョコはピエール・エルメ。マカロンの方で有名だった気がしたが、パティスリーならチョコも扱うか……。ただショコラティエとは認識してなかったな。
それは兎も角、バレンタインデーというのはクリスマス以上の商業主義に染まりつつも一応は告白イベント的な日という扱いだった時代から、今や全世界から名だたるショコラティエが集う一大チョコ即売会、言わばチョコのコミケが行われる期間という時代になっている……というのを何処かで読んだか見たかした。
確かに、言い得て妙だ。
もはや建前などかなぐり捨てた純然たる商業主義の権化。2月上旬の日本ではチョコのデカいシノギがあるぜぇ! ってワケよ。バレンタインの名を冠するのやめた方がいいんじゃないか?
しかしコミケに例えられるように、好きな人からすればたまらないだろうな。世のチョコ好きが集い、沸き立つ期間と考えるとちょっと面白い。
惚れた腫れたにはとんと縁がないが、普段は見ることすら稀な千差万別のチョコが集う日と定義するならなんだか楽しくなってくるね。
そう言っておいて、買う気はさらさらないが。
感覚的にはお祭り騒ぎを対岸に見ているのに近い。
別に排斥しようとも思わないし、どっぷり入り込もうとも思わない。まさに対岸の火事……いや、その様相通りに対岸の祭とでも言ったところか。
■神の命日
2月9日は手塚治虫の命日なのだとか。
知らなかったが、偶然にも同日に録画していた「私と鳥獣戯画」を見た。
演出こそ古臭いが、ゲストの手塚治虫が無茶苦茶喋るという素晴らしい番組だった。進行役の二人(アナウンサーの和田篤と美術史学者の堀尾真紀子)も最低限しか喋らないものの、その言葉の端々から滲み出る教養の深さが見ていて感心する。
内容的には散々言われている鳥獣戯画にある漫画のルーツなのだが、それを手塚治虫の見識と言葉で語るというのが、実に素晴らしいポイントだと思う。
見終わったら消すつもりだったけど、残しておくことにした。
途中で何気無しに披露された手塚治虫の落書きはそうそう見れるもんじゃないだろうし、消すのはあまりにもったいないと判断した。今後も折に触れて見よう。
■IntuosPro刷新
ついに新型のIntuosが出るそうだ。
以前「ProPen3に対応した新型Intuos出るっしょ」と予想してから三年、ようやくその新型がリリースされるわけだ。発売時期はまだ未定だけどな!!!!
出たらなるべく早く買いたいが、サイズで悩んでいる。
smallは持ち運びに便利そうだなとは思うが、そもそも持ち運ぶようなことは現状ありえないから早々に候補から外した。今使っているものからそのままスライドすると言う意味では、large一択なのだが……mediumの省スペースさもなかなか良さそうに見える。
一度新宿の直営店に出向いて、実物を見るのも手かもしれないなぁ。
■ジョーカー
見た。ホアキン・フェニックスが凄いという映画だった。
暗い、遅い、暗い、遅いの繰り返しが序盤に続くので、早送りしちゃった部分もあるが。
見る前は善良だったけど転落するように悪に堕ちるのか? と思ったら、アーサーが割と序盤から暴力的な片鱗見せてて笑った。物に八つ当たりしてる場面とかね。
寧ろ過度に善良でも悪辣でもない、振り子のように揺れる普通の感性だった、と見るのがいいかもな。理不尽とも言える状況に怒り、物に八つ当たりくらいするだろとは思うし。
アメコミにおけるジョーカーの名を掲げる以上それは「ヴィラン」でなければならず、「ダークヒーロー」や、まして「ヒーロー」であってはならない……という命題からすれば、転げ落ちるように悪になるのは必然であるが……物語の都合でヴィランとされることと、社会の理不尽でヴィランに押し込められることを被せてるのかな。
現実と妄想が交錯する中で、全編通して「踊り」が印象的に使われているが、特にトイレで突然踊り出しジョーカーの変貌あるいは開放を表現するのが印象深い。
あれはホアキン・フェニックスのアドリブらしいし、なんなら全編にわたるダンスの挿入も本来は存在していなかったらしいが。……結局ホアキンが凄い映画という感想に帰結するな。
トイレのダンスはカメラワークも素晴らしいので、おすすめ。
ただ一つ、エンタメとしての味は相当偏ってるので注意。そもそもアメコミ史に燦然と輝くヴィランが主役なのだから、偏ってて当たり前ではある。