愚者のエンドロール

 古典部シリーズの第二作目、「愚者のエンドロール」。
 まだラノベっぽさの残っている古典部シリーズで、その最後の一編と言ってもいい今作。
 前回の氷菓でも少し書いたが、そのラノベっぽさが最も感じられるのはその物理的な意味での薄さ。これ以降の「クドリャフカの順番」や「遠まわりする雛」、そして現時点では最も新しい古典部シリーズ文庫版の「ふたりの距離の概算」は厚さ的な意味では全くライトではない。まぁ厚さだけでなく、痛みのレベルでもライトじゃなくなっていくのだが、それはまた別の話。

 今回も感想を書くのは角川文庫版。氷菓が英題が変わったりと装丁以外にも変化が多かったのに比べ、こちらは装丁以外はほぼそのまま。故に特段前置きする事が無い。

 というわけで、ここから先はいつものごとく感想を書く上でネタバレを自重出来る気がしないので、未読の方はブラウザバックを推奨。特にジャンル的にネタバレは致命的だよ。

 
 
 
 
 まず、概要。
 裏表紙から引用すると

「わたし、気になります」文化祭に出展するクラス制作の自主映画を観て千反田えるが呟いた。その映画のラストでは、廃屋の鍵のかかった密室で少年が腕を切り落とされ死んでいた。誰が彼を殺したのか? その方法は? だが、全てが明かされぬまま映画は尻切れとんぼで終わっていた。続きが気になる千反田は、仲間の折木奉太郎たちと共に結末探しに乗り出した! さわやかで、ちょっぴりほろ苦い青春ミステリの傑作!!

 ちょっぴりほろ苦い。ちょっぴり、なぁ? というのは毎度の事だ。よねぽ作品は多角度でキャラクターの心を折りにくるからな。ほろ苦いがちょっりぴりで済むかどうかは読者次第。

 例によってここからは項目ごとに感想。

・古典部と愉快な新キャラ達
 シリーズを重ねると言う事は、主人公達は基本的に変わらない訳だ。そこで出てくるのが所謂新キャラ。古典部シリーズも例外無く新作が出ると新キャラが出てくる。
 依頼主であり、言いようによっては真犯人の入須冬実。
 古典部と2年F組のパイプ役で、もしかしたら共犯の江波倉子。
 結末を唯一知り、言いようによっては犯人の本郷真由。
 探偵志望1。言うなれば、暑苦しい当て馬の中城順哉。
 探偵志望2。言うなれば、面倒な当て馬の羽場智博。
 探偵志望3。言うなれば、エキセントリックな当て馬の沢木口美崎。
 主立った新キャラはこんな所だろう。
 その中でも、推理小説で例えるなら真犯人役に抜擢されたとも言える入須冬実。ある意味ではもう一人の主役と言っても過言ではない存在だろう。「女帝」と渾名される彼女はある意味では「さよなら妖精」のセンドーこと太刀洗万智を彷彿とさせるし、対峙すると言う意味では役割も似ているように見える。が、大きく異なるのはやはり女帝が愚者のエンドロールの虚構性を一人で引き受けている所だろう。他にも色々有るんだが、女帝の存在感が余りにも大きすぎて他の虚構性が薄く見える。
 そして、その存在感の大きさは他の登場人物に割を食わせる形で発揮される。
 他の五人は正直に感想を書くと存在感が薄い。氷菓で名前だけ出てて今作で初登場後々もちょいちょい出てくると言う妙においしいポジションの沢木口なんかもいるのだが、それもやっぱり存在感が薄い。キャラは濃いのに薄い。要はそれだけのキャラが居るのに、女帝の存在感で霞んでいると言う事だ。まぁ、それでも別段構わないんだがな。
 何故なら、今作のメインは間違いなく入須冬実と折木奉太郎であるからだ。
・押しつぶされたのは誰?
 犯人と呼ぶには語弊が有るが、結末を知っている本郷真由。そしてその脚本を純然たる質から却下せざるを得ず、それをカバーする為に奉太郎を巻き込んだ真犯人の入須冬実。恐らく入須の計画を知っている上で協力しているであろう共犯者の江波倉子。そして、籠絡され探偵役を引き受けた主人公、折木奉太郎。この構図は先述した。ならば、全能感を喪失したのは、毎作居る心を折られたのは、薔薇色のうねりに押しつぶされたのは誰なのか?

 前作氷菓には分かり易い関谷純が居たが、今作は複数人居る。
 まずは、文化祭に向けた映画作りと言う小規模な薔薇色のうねりに押しつぶされた本郷真由。これはまぁまず間違いないだろう。ある意味では関谷純と同じポジションに居る。

 次は、主人公の折木奉太郎。女帝に乗せられ薔薇色に染まり、そして自ら心を折らざるを得ない状況に陥った。「それを聞いて、安心しました」という台詞は本当に辛い。

 あとは、他ならぬ入須自身。あのプロジェクトを失敗させるわけにはいかなかった、という台詞は、序盤で自身が言った台詞と矛盾している。つまり彼女はクラスで一人だけ違う評価軸を持ち込んでいたと言う事だ。その愚かさを折木姉のログアウト(もう聞く意味が、あるいは価値が無いと伝えている)と言う意趣返し的な行為で思い知らされてる。

 そして最後は三人の探偵志望。本人達には折られた自覚は無いかもしれないが、提唱していた話を完全否定された訳だ。そこに僅かな挫折感が存在したかもしれない。

・散らばるミステリ読みへのサイン
 米澤作品にはそのサインが幾つかあるらしいが、前作に比べ今作では結構増えているらしい。らしいというのは、俺はそんなにミステリに詳しくなく、又聞きだったりするからだ。
 まずは英題。「Why didn’t she ask EBA?」……直訳するなら、「何故、彼女は江波に尋ねなかったのか?」。劇中の文章をそのまま持ってくるのなら「入須は、なぜ、江波に頼まなかったのか」。これこそが今作の「最後のヒント」の一つで、氷菓で言う所の「薔薇色と灰色」だが、これは「時の姪」のように元ネタがあり、クリスティの「Why Didn’t They Ask Evans?」だそうだ。よくよく調べてみると、どうやら江波倉子自体がそのサインだったとかなんとか。名前自体が既に、そうなんだと知った時は驚いた。
 あとはWikipediaにも載ってるがバークリーの「毒入りチョコレート事件」へのオマージュ(物語の作り以外にもえるが食べたウイスキーボンボンの数も同じらしいよ)だったとか。

 米澤作品はミステリ知らなくても面白いが、ミステリ知ってるとより面白いと言うのがよく分かるなぁ。二作目でこれなんだから、これ以降は言わずもがな。

・散らばる謎
 今作の主題となる謎はまさに自主映画の結末、という所に有る訳だが、他にも様々な謎が鏤められ、その回答もまたそれに倣っている。特に分かり易いのが「千反田は何故よくあるミステリが楽しめないのか?」という謎に対して本作の一番最後で語られる「人が死ぬ話が嫌いだから」という回答だ。じゃあ「ななつのこ」とかを読もうぜ。
 ただ、氷菓に比べると主題の謎と各章の謎が近すぎて、謎のバラエティに欠けるという印象は否めない。謎にバラエティを求めるのも違う気がするがそう感じてしまうんだよなぁ。

■今回の痛み

 改めて明言する必要ない程前述してるが、敢えて言うなら「己の凡庸さを知る」痛みだ。
 プロローグが終わった直後に、既にその痛みを指す言葉は奉太郎が述懐し、それを里志に話している。つまり「才能」云々の話だが、それらはとても近しいが少々違う。誰しも持っている、あるいは持っていた「根拠の無い自信」。それを一度か二度は肯定され、その後に本当は違ったと言う現実を思い知る。その痛みは前作のうねりに押しつぶされるような痛みとは違うだろうが、リアリティのある痛みとして感じられるだろう。

 今作でこの痛みを味わい大きくクローズアップされるのは、主人公の折木奉太郎だ。
 彼が中城の印象で明確に述懐し、おそらくは他の探偵志望にも少なからず似た印象を抱いたであろう「必要な技術の無い人間」。そして自分にはその技術があると、一度は女帝に煽動され自覚(奉太郎的には錯覚)した。が、本当に必要とされていた技術は別のもので、自覚した技術は女帝の目的の為だけに煽られた「幻」だった(と奉太郎は思っている)。結局、自覚した才能、薔薇色は幻で、自分は灰色だったのだと奉太郎は自覚を改める。そこに生じる痛み、前述した「それを聞いて、安心しました」という台詞に込められている痛みこそが、今回の痛みだ。

 だが、この痛みを味わっているのは何も今作では奉太郎だけじゃない。
 まず第一挙げられるのは、物語の発端となりチャット画面にしか出てこない本郷真由。
 第二に痛みの度合いは低いだろうけど、三人の探偵志望者。
 第三に痛みは次作の方が強いが自身に才能が無いと嘯いていた福部里志。
 そして最後にラストシーンでその痛みを知る事になった(であろう)入須冬実。

 今回の痛みは実に普遍的でリアリティに富んでいる。
 深く突き刺さると言うよりも広く浅く抉られるというべき痛みだ。

 ……あるいは、「必要な技術が無いのに、無理に役割を負わされる」痛み、と言うものを加えてもいいかもしれないが……主人公の場合はそこを真犯人によって意図的に基準点をずらされると言う操作によって、「自己がそれと気付かぬうちに踊らされる」という状況に陥っている訳だが……結局その先に待っているのは、同じ痛みだ。

■まとめ

 総評すると、ちょっと影を増した青春ミステリ。

 正直言って最初に読んだ時はあまりピンと来なかった。その後に読んだ「クドリャフカの順番」があまりにも面白かったからと言うのもあるが、それを差し引いても印象が薄かった。
 でも、今回再読してみて評価を改めようと思う。
 今作は米澤穂信がミステリのエッセンスを濃くしようとする萌芽がある。既存のミステリへの大胆なオマージュや、劇中劇やチョコレートなどの小物を使ったオマージュ……この後発表される作品に通ずる要素はここから始まってる。
 「氷菓」が商業作家としての最初の作品だとするのなら、「愚者のエンドロール」はミステリ作家として踏み出す事を明確に宣言している作品と言えるだろう。
 それでいてしっかり心を抉ってくる、よねぽ節も健在。

 古典部を読んでいくのなら、外せない一作。
 また、古典部シリーズの中にあるメタ的な意味での断裂を知る意味でも面白い。この後に「さよなら妖精」を挟んで「クドリャフカの順番」が書かれた事を考えると、「さよなら妖精」に存在する古典部の残滓、あるいは名残と言ったものはここで終わっている訳だしね。
 そういう意味でも気になる人は必読。

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