ボトルネック
米澤穂信著、文庫版「ボトルネック」読了。
感想文復活の第一弾は、「ボトルネック」で行こうと決めていた。……のだが、あまりの読後感に心が震えて感想が纏まりきらない。
読後感に震えるのは、名作の証拠。
だけど、この震え方は「感動に」と言うには少々語弊がある。
いや、感動と言えば感動なのだが……何にせよ、そこには圧倒的な「痛み」が伴う。
感想を書くに当たってネタバレを自重出来る気がしないので、未読の方は回れ右推奨。
概要としては「もし自分が存在しなかったら、この世界はどうなっていたのか」に尽きる。
その妄想は思春期の特権とも言え、思春期の終息と共にその妄想にも終わりを迎える。
大方のオトナは経験しているだろうあの感覚だ。
その「IF」を実体験出来るとしたら?
結果、導き出される答えがどうしようもない程に負に偏った物だったら、どうする?
というのが大筋の内容。
いくつかの答えは明確に提示されないまま終わるこのお話。
感想を纏めることも兼ね考察を交えて挙げてみよう。
- ●リョウは最後にどうしたのか?
-
生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。
……と言わんばかりの、最後に提示されている選択肢。
その選択肢に対して混乱と絶望に喘ぐ主人公の「誰かに決めて欲しい」という台詞。
追い討ちのように送られてきたメールを加味すると、考察するも何もという気もする。
ひねくれ者を自認している俺としては、第三の選択肢を考えたくもなるが……。
それは無いと断じる他無い。
それまでに積み重ねてきた主人公の境遇や性格、感情を省みるに生きるべきか死ぬべきかという選択肢に際して考えるべき問題などは一つもなかったとも言える。
……個人的には、その存在がプラスでもマイナスでもゼロだったとしても生きる位いいだろうと思うし、もう戻れないなら違う場所で好きに生きればいい思うが、嵯峨野リョウという人物はそこまで自分勝手にはなれないのだろうなとも思ってしまう。
俺が選ぶのではなく、嵯峨野リョウが選ぶならば取るべき選択肢は、一つ。
つまり「ボトルネックは排除しなければならない」という事だ。
そう言う意味で、送られてきたメールは正に振り下ろされた「夢の剣」だったのだろう。
「何でもないひと」を傷付け死に至らしめる、霞のような悪意。
劇中、振り下ろしたのはどちらも親類だったというのは、何とも悲しい話だ。 - ●ツユは何と言おうとしたのか?
-
「昨日できなかったことも、今日はわからない。それすらも違うというなら、キミはもう、わたしたちの……」という台詞があるが、この下りは不自然に途切れている。
わたしたちの、何だ? そしてリョウは何に対して「…待って」と答えた?
これはもう本当に答えが出てこない。
まだ、ボトルネックというお話を消化し切れてない証拠かもしれない。
正直、痛みの繰り返しで、まだまだ消化どころじゃないというのが現状なのかも知れない。
次に読む時に、答えが分かるほどの「想像力」が備わっていることを願おう。 - ●諏訪ノゾミが嫉み、リョウが流れるままに捨て置いたものとは何か?
-
朧気に浮かぶ物の、言語化が難しい。
環境や、「生まれてからずっとそこにいる事実」とか、そういう事だろうか?
諏訪ノゾミが碧眼の魔物、妬みの怪物となった切っ掛けもそこにあって、嵯峨野リョウ自身の「何もしなかっただけだ」と言う台詞をイコール「捨て置いたもの」と考えると……単純に「生きていること」そのものなのかも知れない。
■何故にこんなにも痛むのか?
この痛みは同じ作者が描いた古典部シリーズの登場する(副主人公とでも言うべきキャラクターである)「福部里志」の言う「期待」を読んだ時に似てる。
あちらはオブラートに包まれていた上、生死に関わる事でも無いし、存在その物を否定するような物でも無いため「ほろ苦い」で済んだのだが……。
「ボトルネック」の主人公・嵯峨野リョウは違う。
オブラート所か、それに含まれているのは紛れもなく「致命的な毒」だ。
生まれてこなければ良かった。
思春期には誰もが一度は世界一深刻そうな顔をして呟きそうな言葉だ。が、これを妄想を根拠に言うのと、事実を列挙された上で結論付けざるを得ないのでは、意味合いは全く異なる。
冗談で言われても痛むであろう言葉を、事実として世界に突き付けられたらどうだろう?
「この三日間で、ぼくは考えを放棄する事を学んだ」そう述懐する主人公の、何と痛ましい事。
生まれた事自体が間違いだった。その生自体がボトルネックだった。
何とも残酷な間違い探しだ。
間違いの答えが自分自身なんて、笑えないにも程がある。
この、リョウを通して伝わる毒はそのまま妬みの怪物による毒だったとも言える。
パラレルワールドへの跳躍も、次々呈示される彼自身がボトルネックであるという証明も、全ては嵯峨野リョウをあちら側に引き込むための毒だったと考えるのは、まぁ的外れという訳でもないだろう。そう考えるのもありかもね、程度には許されるのではないだろうか?
碧眼を光らせた妬みの怪物は、冒頭で既に毒を吹き込んでいた。全て、あのパラレルワールドさえも毒が作り上げた「夢の剣」であった……と考えるのは、「人間一人が絶対的なボトルネックになる事など有り得ない」と、そう思いたい俺の独り善がりだろうか。
■米澤穂信の真骨頂
個人的に作者である米澤穂信氏の小説が持つ、最大の特徴はこの「痛み」だと思っている。
正に、文章によるボディブローやアッパーカットとも言える、鋭く入る文章の一撃。
美しい一撃はある種の快感と共に、臓器には染み渡る「痛み」や「ほろ苦さ」を残す。
「痛み」や「苦さ」が無いと物足りなくなったら、立派な中毒者と言えるかも知れない。